2014年12月13日土曜日

22 壁新聞 、 23 生産会議

22.壁新聞

 ロシヤの国は本當に壁新聞を十分に活用してゐる。
いろんな工場の状況や思想教育、生産促進対策等、内地の新聞紙大の額の中に絵迄入れて各工場等、工員休憩所に掛けてある。我々の収容所でもロスケの命令で中隊毎に壁新聞を作ることになった。
 原かう[稿]は、中隊全員に募集して、その中より選定して壁新聞に發表する。此の中に論文あり、中隊の声として隊員の要望事項あり、文藝欄あり、生産促進の対策についての意見あり、と云った具合で、その中隊の壁新聞を読めば、大体中隊の空気なるものが察しがつくと云ったところだった。
 それに又漫画新聞がある。之は絵の上手なのが、漫画をその時にマッチするように書いて、面白く宣伝しやうと云ふのである。
 之等は一週に一度新しいのと貼り代へた。この様な壁新聞、漫画新聞なるものは皆から次々に集まってくるところの原コウに依って完成してゆくのであるから、工場なら工場の、中隊なら中隊の各人かくじんの盛り上る声である譯だ。それに対して経験の優れた人、学識のある人、即ち指導者がよい結論を與へて、善導してゆくならば確かに民主主義である。
 
 だから、壁新聞は現在の大江工場あたりも使用して大いに啓蒙して行くならば面白いであらうし、又工場全体の空気がどんな状態であるかも想像がつく事であらうと思ふ。


23.生産會議

 ロシヤでは、一月に一回乃至二回、生産會議なるものを開いてゐる。
 工場内に働く勞働者は作業班が編成されて、班長以下五、六名が一グループになって一つの作業に従事してゐる。そう云ふ作業班が幾つか集まって工場作業が行はれてゐる譯だ。
そして一月の中には各作業班の仕事の完遂量がパーセントに依って發表される。百パーセント以上もあれば以下もあるが、之等の作業班長が集合して、その月の仕事完遂量に対していろいろ意見をのべ合ふのが生産會議である。
 自分の作業班は今月はどうしたからこんな良パーセントを貰へたか、又は自分の作業班はどの点が悪かったからパーセントがよくなかったとか、今後の生産をよくするために作業班長若しくは班の代表者が意見をのべ、その対策を研究するのが生産會議であった。
此の時に作業成績の良かった班は賞められるし、悪かった班は叱られる。ロシヤの様な總てが国民によって管理されてゐるところは仕事量が制定されている関係上、こうやって生産能率の昂揚を図ってゐる譯だ。

 我々の今働いてゐる工場でも之を真似る必要はないが、右の様な計画を立ててみたら、未だお互ひ同志の手で生産能率は上昇するのでなからうかと思ふ。
現在行はれてゐる課長打合せ會議も悪くはないが、組長以上位集めてザックバランに意見述べ合ったら面白いだらうと思ってゐる。


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 父は戦前、大蔵省専売局に就職し、戦後も定年まで、専売公社(のちの日本たばこ㈱=JT)に勤めました。
 戦後、いつ頃から復職したかは定かではありませんが、ソ連から帰国すると熊本の実家に帰り、そのまま、熊本の工場に勤務したものと思われます。 文中に出てくる「大江工場」は、後の「熊本工場」(熊本市中央区大江、県立劇場前)のことです。
 たばこ工場は、喫煙者数の減少もあり、九州では、福岡、大分(臼杵)などとともに熊本工場も閉鎖となり、今では北九州工場一つだけになっています。

 父のソ連での経験がどの程度、帰国後の現場で生かせたのかは分かりませんが、「生産會議」を経験した多くの日本人が、帰国後に生産現場戻っていったわけですから、ひょっとして、その後の高度成長や「カイゼン」に繋がって行ったのかもしれません。

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