「シベリア抑留記」としてきましたが、父が抑留されていた収容所があったところは、黒海に繋がるアゾフ海沿いに位置しています。
17世紀の終わりに、ピョートル大帝がロシア艦隊の基地として作った街で、19世紀には交易で栄えたそうで、現在も港湾を生かした産業が盛んな地域だと思われます。
1941年から43年までドイツ軍に占領されていた時期もあったようです。
人口は約28万人。チェーホフの生まれ暮らした地として有名で、生家のほかにミュージアムなどチェーホフゆかりの施設を含め観光スポット多いようです。
http://www.taganrogcity.com/index.html
厚生労働省が公表している資料(元はソ連邦が公開したもの)によると、タガンログ周辺では、250kmほど北のドゥルシコフに野戦病院があり、106人の死亡者あったとされています。また、さらに北へ500kmのハリコフという街の墓地等には50名を超える死者が埋葬されたとのこと。
そのほか、西へ340kmのサポロージェ、さらに北西へ300kmのドニエプロペトロフスクにも収容所があったとされています。
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厚生労働省HPより |
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