2014年12月21日日曜日

【ちょっとお休み・その1】 タガンログについて

 これまで、4ヶ月にわたっって、父の手記を公開してきましたが、ここで、ちょっとお休みをして、父が、抑留生活を送ったタガンログという街をご紹介 ~ というほど詳しくはありません。もちろん行ったこともありません。 ~ したいと思います。

 「シベリア抑留記」としてきましたが、父が抑留されていた収容所があったところは、黒海に繋がるアゾフ海沿いに位置しています。


 17世紀の終わりに、ピョートル大帝がロシア艦隊の基地として作った街で、19世紀には交易で栄えたそうで、現在も港湾を生かした産業が盛んな地域だと思われます。
 1941年から43年までドイツ軍に占領されていた時期もあったようです。

 人口は約28万人。チェーホフの生まれ暮らした地として有名で、生家のほかにミュージアムなどチェーホフゆかりの施設を含め観光スポット多いようです。

http://www.taganrogcity.com/index.html


 厚生労働省が公表している資料(元はソ連邦が公開したもの)によると、タガンログ周辺では、250kmほど北のドゥルシコフに野戦病院があり、106人の死亡者あったとされています。また、さらに北へ500kmのハリコフという街の墓地等には50名を超える死者が埋葬されたとのこと。
 そのほか、西へ340kmのサポロージェ、さらに北西へ300kmのドニエプロペトロフスクにも収容所があったとされています。

厚生労働省HPより


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