2014年9月28日日曜日

その7 衛星、清潔

7.衛生、清潔

診断に就いては前述の通りだが、一般衛生には非常に嚴重であった様だ。第一に虱だ。發疹チブスには本當に弱いロスキーが此れを恐ろしがるのは無理もないが、虱検査だけは朝鮮以来何處にもつきもの。虱が居やうものなら大事。大隊全員滅菌をやらされる。一週間に一度位必ず実施されるが、之ばかりは幾らやっても中に一人二人不精な者が居るから、全然居なくなったと云ふためしがない。
此の虱の為二十參年十二月に戦友參人が發疹チブスにやられた。之が真性と判明するや、収容所は上を下への大騒動。藁ブトン、毛布、枕、寝台、外套、其の他被服全部、それに兵舎も總て蒸気消毒が実施された。勿論作業は全然中止。ソ聯人とは嚴重に隔離されて了った。収容所長、ソ聯女医、看護婦、みんな夜も寝ないで我々の滅菌の状況を見廻ってゐた。二、三日は我々も満足に寝れない。然し、みんな作業が休めるんで余程良かった。
入浴に入って裸体になってゐる間に着物全部を熱気室の中で消毒やる。滅菌所の勤務は第三、第四グループがやってゐたが、こう毎日やられたら、こっちが伸びて了ふと心配していた。入浴滅菌の日課が約十二日間續いた。

人間て贅澤なもんで虱の御蔭で十二日も休ませてくれたのに、こう毎日、滅菌が續けられたんでは叶わん。之ぢゃ体がえらくっても作業に出た方が余程良いと云ふ様になってきた。虱にはロスキーからもやいやい言われたが、我々自身も夜、床の中でモズモズされて困ったし作業の行き歸りにも又然り。之は神経を苛立たせ、それに作業の疲勞回復のための大事な睡眠を妨害するのである。
作業なしで十二日間も遊ばせて貰ひ、滅菌もゆきとどいて虱も少なくなったので、皆大分肥えて来た様であった。此の期間中の体重測定では七一瓩になってゐた。
虱のことでいやなことは腋毛と陰毛の剃り落しだった。場所によってはソ聯の若い看護婦が実施したところがあったさうだが、我々は自分で戦友にやって貰った。
真夏にやった時なんか、汗が出て重勞働やる我々には痛いこと痛いこと。捕虜なるが故だと諦めるより仕方なかった。ロスケに云わすりゃ、毛があるから余計虱がたかると云ふのだ。在ソ中には全部で四回くらいやられた。

虱の次が南京虫だった。タガノロフ市到着當時は新しい宿舎だったので、全然居なかったのが、ドイツ人の収容所より運んだ寝台に棲息していた為、一冬過ぎる時には物凄い繁殖振りだった。ウトウト深い眠りに入ろうとするとチクチクッと食らひつく。一匹や二匹なら大したこともないが、一ぺんに十何匹と云ふ程毛布の間に侵入して来て全く眠られない。飛び起きてつぶさうとすると、くもの子を散らすように逃げ込んで了ふ。油虫臭い特有の臭ひを發する。虱の食ひ方よりも一段と痛い。之によって化膿したものが大分居た様だ。
之に対しては月に一回位蒸汽で以って寝台の裏なんかを消毒やったが、絶対に減少しなかった。飛行機の防風ガラス等で自分の寝台を焼いて防いだが、直ぐ又隣の寝台から越境して来るから同じだった。蚤には割に惱まされなかった。
年中を通じてやかましかったのは、舎内外の清掃なり。これは日本の軍隊よりも尚嚴しかった。考へ方によるが、捕虜が千何百も狭い収容所に入れられてゐるのだから、黙って居ればどんなにか不潔になるであらう。それをロスケが考えてか、実にやかましく掃除をうるさく云ふ。床板なんぞは針金のブラシで白くなるまで磨かせるのである。二年間もこすったので歸る時は大分摺り減ってゐた様だ。庭の手入等吸殻一つ落ちてゐたんでは収容所の衛生清潔は零になる。ロスケの幹部の着眼は便所だ。此處がピシャリ掃除できて居りさへすれば気嫌がいゝ。

便所と云へば、収容所の便所を説明しよう。水の流れる様になった深い溝が二本、便所の棟に沿ふて縦に通り、其の外側に足をのせるところの踏み台がコンクリート製で出来てゐる。其處にしゃがんで前記の溝に糞を垂れると、水で流すことになる。それが一人一人の分に仕切りをしてある譯でもなく、糞垂れ姿は後からも前からも丸見えだ。

足をのせる台にしゃがんで糞垂れるのが満員になると、如何にも電線に止まっている様にみえて、前に長い者が各々ブラ下がっているから面白い。今、こちらであんな事したら恥ずかしがって誰もあんな便所には入るまい。此の便所にも後では馴れて了ってなんとも感じなくなった。未だ素裸体で女医さんに尻の肉付きを見て貰ふのが恥ずかしい位だ

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蚤は、犬、猫にもいるのでまだなじみがありますが、シラミや、ましてや南京虫に至っては、私たちの世代でもなかなかお目にかかりません。
しかし、下の毛まで剃られるとは・・・。欧米の方には剃毛している人が多いという話を聞きますが、果たして虱対策なんでしょうか。


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