2014年10月5日日曜日

その8 給與

8.給與

[給與」とありますが、給食、食事のことです] 


 ロスケの常食が黒パンである。我々は常食たる米飯にも有りつけなくなった。入ソ當時は米穀少量と高粱、燕麦、ジャガイモ等だった。魚、肉等全然なく又新鮮なる野菜もなし。ポゼットに上陸より一週間にしてポツポツ鳥目患者が出来始めた。自分もその一人だった。
晝間でさへ急に蔭に入ればさっぱりみえない。これも魚や肉類不足でヴィタミンA不足現象。鶏と同じで朝起きて夕方迄自由に動けて夕刻よりさっぱり目盲になって不自由でならない。電燈は見えるがそれより眼をそらすと今まで見て居た電球のゲン影だけが白く浮かび上がり他は何にもみえない。

興南やポゼットでは便所が遠くて夜起きた場合眼がみえず、子供みたいにたれ流しやったものが幾人かあった。又便所の中に足つっ込んだ者も居た。本當に今考えると可笑しい様にしか思へないが、其の時は実に眞剣だったのである。

タガノロフ市到着當時は麦粥を澤山食はして貰った。ところが、みんな列車輸送の二十五日間の疲勞と暑さの為に衰弱して幾らも食べなかった。食い馴れないせいもあったらう。之をみたロスケが量をウンと減らして来た。一日の穀物の量が四〇〇瓦となってゐるさうだが、二〇〇瓦位あったらうか。それに本式に作業に引っ張り出されるようになって益々量が足らなくなって来た。

毎日々々空腹の連續である。大根の生、人參、カボチャ、玉葱、ジャガイモ、野菜の生は云ふに及ばず、アカザ、タンポポ、野生のゴボウ等生の儘か塩つけてかぢった。大根は甜菜だから甘い。人參は柿の様な気がするし、カボチャも同じ。馬鈴薯は梨の様な気がして食った。魚も炊事から貰ふのは生で骨までバラバラにして猫も見向きもしない程奇麗に食ったのだった。

この様な場合は年のことも身分のことも色気も全然無くなって了ひ、只ひたすらに食いさえすればいいのだ。腹を壊すことなんぞ考へる暇はない。無茶苦茶食っている奴に栄養失調で死んで了ふぞと云はうものなら、之だけ食って死ぬのなら本望だと云ふだらう。
之だけ徹底してゐたからか、自分も相當生のまゝ食ったが、めったに腹だけはこわさなかった。蛇なんかは作業中に監督の眼を逃れて奇麗に皮をはぎ、針金に蚊取線香の様に巻いて、突刺し歸ってから入浴場の釜で良く焼いて食ってゐた。唐もろこしの若い柔らかい奴は一日に最高で三、四〇本は食ったらうか。それでも腹は自身たっぷりだった。


昔から「武士は食はねど高楊子」と云ふ文句があったが、こんな諺なんかてんで信じられなくなって、腹が減っては戦が出来ぬ、というのが本當の様な気がした。(然し、終戦前の上海飛行場での空襲時は気が張って空腹も感じなかったが。)兎に角我々は「人間が窮して来れば如何なる粗食にも如何なる小食にも耐え得られ、その上に精神力が充実すれば相當の期間之に抗抵出来得る」自信を持ったのだ。之は確かな収穫かも知れない。


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父は、生前、抑留中は「とにかく飢えていた。食えるものは何でも食った」、という話をよくしていました。なので、帰国し実家に戻り、「砂糖をバケツ一杯なめた」とか。
貧しい食事のおかげで、栄養失調となり、命を落とした人もいたのではないかと思われます。

また、最近ではすっかり死語となっていますが、「鳥目」というのも私たちが子供のころまでは、「偏食してると鳥目になる」とよく脅かされていました。便所に足を突っ込むくらいならいいですが、環境によっては、命にかかわりますね。

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